恵比寿大黒屋日記

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help リーダーに追加 RSS 隣にいても一人〜バックドロップクルディスタン〜ホモソーセージ

<<   作成日時 : 2008/09/07 01:22   >>

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そして横川←→ヲルガン座を行ったり来たり

横川の山小屋シアターへ、15時からの「隣にいても一人〜熊本編」。
昨年、青年団中心の広島編と広島オーディション組のを観たときは
今ひとつ食い足りない感じがしたが、今日観た熊本編は割と良かった。
役者さんがうまかったのもあるが、3本の比較では脚本の良さを一番引き出していたような気がする。
青年団広島編はチラシ文句に「不条理劇」とあるままに
淡々と不条理劇として描き出そうとしているように見えたが
劇中にもカフカの「虫」が引用されるけれど
「虫」ほどインパクトのある「不条理」でもなく
「不条理劇」として描くのはどうも無理があるように思えた。
一方広島オーディション組は完全にコメディとして描き出していて
これは演じた役者のキャラにもハマっていて、ベタだけどこっちの方が私は面白かった。
で、今回の熊本編は平田オリザ的な淡々とした日常の中のちょっとした不条理
というテイストを残しつつ基本的にはコメディとして演じられており
私としては一番しっくりくるものだった。
欲を言えば、夫婦・兄弟・姉妹という関係の「らしさ」が演技そのものからはあまり感じられなかったのと
兄役が(面白いんだけど)一人だけ新喜劇になっていて
演技の質としては他の3人から浮いていたのが完成度としては惜しい気も。
ただ、3度目でやっとチラシ文句の「不条理劇」というイメージの縛りから解放されて
この芝居の面白さのツボが理解できた気がする。
久しぶりにDと一緒に観劇したが、Dも結構面白そうに観ていた。
青年団広島編も平行して再演中だが、こっちは明日もあるけど見に行けないかも。
去年観た時は面白く思えなかったけど、1年たって変化しているかもしれないし
比べたらおもしろいんだろうけどね。

その後、横シネで「バックドロップスルディスタン」を観ようと思ったら
予想より空き時間があったので、預けっぱなしの荷物を引き取りにヲルガン座へ。
そしたら「横シネ行くならヲルガン座のライヴスケジュール持っていてくれない?」
「いいよ」
「あと、横シネにマイクを貸してるから、早く返してって溝さんに伝言よろしく」
「あ、じゃあ帰りにマイクもらってまた寄るわ。荷物はそのときに」

てなことでアイスコーヒー飲んでまた横川へ。
「バックドロップクルディスタン」、なかなか面白かった。
たまたまクルド人難民家族と知り合った日本の青年が
なんで「難民」なのか、なんで日本は彼らを難民と認めず強制退去させるのか
何もわからないまま、素朴な疑問を抱えて、日本→トルコ→ニュージーランドと
クルド人家族を追いかける。
前半は難民と認めない日本政府はもう期待できない、と
国連前で国連の難民認定を求めて座り込みをするクルド人家族とその支援者たちの闘争。
しかし、国連からの難民認定を勝ち得たにも関わらず
父と長男が仮放免延長申請に訪れた入管で突然拘束され強制送還。
無念の表情をにじませ会見する支援者たちと
悲嘆に暮れ絶叫する残された家族たち。
TVニュースでの特集なら、ここでおしまいで、キャスターがもっともらしいコメントしたあと
「次はスポーツです」てな展開かな。
さて監督・撮影者である青年は、この事態に何もできない自分は何なのか
一体なんでこんなことが起こるのか、と、カメラを手に一路トルコへ。
トルコ人のクルド人に対するまなざし。
クルド人をあからさまに差別する人もいれば
仲良くやっている人たちもいる。
多少の差別はあってもトルコ人として生きることに不満はあまり持っていないクルド人と
トルコ政府にクルド語やクルド文化を禁じられていることに憤るクルド人。
何かがおかしいけれど、やっぱりどこかわからないモヤモヤも残る。
難民一家は最終的に第三国・ニュージーランドへの出国が認められ
17年ぶりに家族一緒の生活を手に入れる。
日本の庶民感覚ではあまりよくわからない「難民」問題のあれこれが
ちょっとわかってくる。
同時にわかればわかるほど
なんでこうなるのか、どうすれば解決するのかは
相変わらずわからない。
難民を極端に受け入れようとしない日本政府も問題だが
そもそも難民を発生させている国の問題がある。
しかもそれは一国の政治の問題にとどまらず、各国の利害関係や勢力関係も少なからず影響している。
そうすると、日本も難民を受け入れないだけでなく
難民を発生させていることにも間接的に関わってくる。
なんだかおかしい、おかしいんだけど、どこから手をつけて良いかわからない。
民族の固有の文化を奪われながらもトルコ人として生きることを受け入れているクルド人も少なくない。
それならそれでもいいのかもしれないとも思う。
日本政府におかしな管理と制限と搾取の下に置かれながら
「日本人の誇り」とか「すばらしい日本文化」とか
未だに「小泉首相待望論」なんか口にできてしまう
鈍感な日本人も似たようなもんかとか思ったりする。
そうこうしているうちに知らぬ間にネットカフェ「難民」になってしまってたりするわけだ。
それでも機関銃持って同胞同士で殺し合いしてるよりマシなのかもしれないし。
う〜ん、、、。
最後にクルド人難民家族の父親が
彼らとの別れを悲しむ気持ちと、恐らく彼らに降りかかった不条理に対して
何もできない自分の無力さから涙する青年(監督)に向かって
「日本人が悪いんじゃない。クルド人が悪いのでもない。
システムが悪いんだ」と励ます。
だけど、そのシステムを作っているのは人間だ。
だから、システムを変えることは不可能ではない。
そして同時に、巨大なシステムに対してあまりに無力であっても
その中で信頼関係や愛情をはぐくんでいけるのも、また人間だというべきだろう。
愚かで、そして愛すべき人間。
組織を作って政府に働きかける運動をするというのもひとつの方法だが
こうして、一人でも、どうしていいかわからないまま
それでも疑問を抱えてまなざしを添わせ続けるということが持つ「救い」というのも
きっとあるんじゃないかって思う。
現実に何かを変えることはほとんどできないかもしれなくても
絶望の淵にいる自分を、そばで見守ってくれる他者
理解しようとしてくれる他者がいるということは
案外に大きな力であり希望であったりするものだ。

映画終わって。
「ヲルガン座のマイク、、、。シールドだけだっけ? マイクも借りたんだっけ?
えーと、どれだっけなぁ、、、」
と溝さん冷や汗かきながら、段ボール箱をゴソゴソ。
「思い出せんけど、これは横シネのものじゃないハズなんよね」
とマイクとシールドを何本か。
「じゃあ、とりあえずそれ持って行ってみますわ」
持って行ったら、関係ないシールドまじってたようで
「これ何? 違うよ〜。もう溝さん、、、!」

***

ゆうべは我が家で単独旅行舎「G・ate」の打ち上げぽい飲み会。
途中コンビニに買い出しに行ったDと亮太郎が見つけて買ってきた。
画像

普通のフィッシュソーセージなんだけど、「ホモ」ってあなた。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
あれ?「隣にいても一人」こられていたんですね。気づかなかった。
クルディスタン、「トルコ人として誇りを持って生きている」、というようなことを言っていたクルド人のおじいちゃんが印象に残ってます。父親の「システムが悪いんだ」という言葉、彼が言うのはわかる気がするんですけど、直感ですが最近、システムを変えることのできる立場にいる人や、それを直接的に支えている人たちまでもが安易に「システムが悪い」と言ったり、よりきつい「システム」を作っていってるようなような気がします。「悪いのは全部システム」って。それを作っているのは自分たちかもしれないのに。そこへ決して収束しようとしなかったあの映画はとてもぼくには、面白くみれました。また遊びにいきますね。
タム
2008/09/07 12:58
色々差別もあるはずなのに
「トルコ人として誇りを持って生きている」
ってのがさ、本音なのか、生きていくための諦めなのかってね。
それがいいことなのか、悪いことなのか。
確かにクルド人としての国は持てなかったけど
トルコ人としては欧米の植民地支配から逃れて
「自分の国」を持つことができたわけで
アタチュルクは彼らにとって英雄かもしれない。
でもトルコの中のクルド、と考えると
クルドがトルコの植民地のようでもある。
沖縄だって重なってくる。
「日本」であることで手に入る豊かさを喜ぶ人もいれば
いわば半植民地として米軍基地を押しつけられ
独自の文化を奪われていることへの反発も強くあるわけで。
日本だって決して「単一民族国家」なんかじゃない。
そこを見失っているから難民を受け入れない日本政府というものに
国民の関心も向かないのでしょう。
まったくよその国の他人事な話じゃないですね。
本当に複雑で難しい問題です。
つき
2008/09/07 17:54

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