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旅行中に大学時代の先輩からメールがあったので しばしメールで対論 要約しつつ、こんな感じ まずは先輩から、記事を引用しつつこういうメールが来た (先輩より) 「イスラエルは『神話返り』している」 停戦拒否、世論が後押し=9割超がガザ軍事作戦支持−「壊滅」に恐怖・イスラエル 1月10日14時9分配信 時事通信 【エルサレム10日時事】パレスチナ自治区ガザで大規模な軍事作戦を展開するイスラエルは9日、国連安全保障理事会の停戦決議を「役に立たない」(オルメ ルト首相)として拒否した。背景には、イスラム原理主義組織ハマスのロケット弾攻撃への対処だけでなく、イスラエルを敵視する周辺勢力の「戦略的脅威」に 対する恐怖が国民の間で広がり、強硬姿勢を世論が後押ししているという事情がある。 9日付のイスラエル紙マーリブが掲載した世論調査結果による と、ハマスに対する軍事作戦について、ユダヤ人市民の91.4%が賛成。反対はわずか3.8%だった。この極端な世論動向は、2月10日に総選挙を控える イスラエルの政治家にとって、8日に採択された同決議より圧倒的な重みを持つ。 同国のユダヤ人社会にとっての戦略的脅威とは、特に「イスラエル壊滅」をうたう勢力を指す。南隣ガザのハマス、北隣レバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラ、そしてハマスやヒズボラを支援し、核開発を進める東方のイランだ。 こうした中、ハマスが支配するガザに強圧的な対応を取ることに社会は寛容だ。ガザ軍事作戦で、子供や女性多数を含むパレスチナ人犠牲者は、イスラエル側の100倍近いペースで増加しているが、自己批判の声はほとんど聞かれない。 (記事ここまで) 旧約聖書にあるユダヤ人の受難の『記憶』は、現イスラエル人にとって、まだ現実なのか? このままだと、イスラエルで3回目(の核)が使用されるのもそう遠くないのかもしれない。作ること自体は難しくない。一般的には、技術が使い物になるかどうかを決めるのは、それが、「安全に」 「確実に」「繰り返して」運用できるという点であるが、このケースの場合は安全でなくても繰り返さなくても構わないので、問題にならない。乱暴に言えば、 イスラエル国内の人口密集地で、暴発させても目的は達するのだから。 *旅行中で携帯でメールを読んでいた私は、ここでどちらかというと「神話返り」という言葉に反応し、「3回目の使用」を「イスラエルによって」と誤読したまま返信。 (私) イスラエルは白燐弾を使用しているという話もあるし、クラスター、劣化ウラン、バンカーバスター、、、核兵器より目立たずに大量殺戮できる兵器が今はたくさんありますし、戦力差を考えるとガザで3回目という可能性は薄いのでは。 だいたい「9割が支持」というのはイスラエル側のプロパガンダ情報では? イスラエル国内でも一万人規模の反対デモが起きてるらしいし、良識のあるユダヤ人も少なくないと私は思ってます。 (先輩) プロパガンダ情報であることを祈る。 あと、前のメールは最後の部分をカットしていました。以下、再現します。 旧約聖書にあるユダヤ人の受難の『記憶』は、現イスラエル人にとって、まだ現実なのか? こ のままだと、イスラエルで3回目が使用されるのもそう遠くないのかもしれない。大学で少々かじった立場から言えば、作ること自体は難しくない。一番の難題 は『濃縮』だが、最近なら、廃棄物から簡単に得られるものを代替物にできる。一般的には、技術が使い物になるかどうかを決めるのは、それが、「安全に」 「確実に」「繰り返して」運用できるという点であるが、このケースの場合は安全でなくても繰り返さなくても構わないので、問題にならない。乱暴に言えば、 イスラエル国内の人口密集地で、暴発させても目的は達するのだから。 神話を克服するには、新しい神話をつくるしかない。そう考えるのは、僕だけではないと思う。 (私) 核兵器じゃなくても白燐弾やクラスターや劣化ウラン弾は十分残虐な兵器ですから、とにかくすぐに停戦して交渉のテーブルにつかせるべきです。 そうならないのは結局大国の利害関係のせい。 「神話」なんか関係無いですよ。 日本が「古事記」のせいで戦争したわけじゃないように、近代戦争はほとんど戦争経済の問題だと思います 神話はそのネタに利用されてるだけ。 こういうときに神話なんか持ち出す奴はマユツバものだと私は感じますね。 (*この部分、「神話」云々の話が先輩の発言か記事の引用か、この時点では私の中で混濁している) 大国は誰も本気で停戦させようとしてるとは思えません。ガザは大国のエゴのかけひきの犠牲。イスラエルの建国の経緯、中東・アフリカのいびつな国境線。それがすべてを物語ってるんじゃないでしょうか。 (先輩) 核を使うのは、パレスチナだよ。 つまり、想像してみたわけだ。 もし僕が、パレスチナ人で、家族がこの空爆で犠牲になって、たった一人になってしまったら、自分が被爆しようが関係ないから、イスラエルの市内で核爆発を起こしてやろうと思うだろうと。自分の絶望を、歴史の中に残してやろうと思うだろうと。 神話が戦争の原因だと思っているわけではありません。ユダヤ人の精神性のある面を反映している気はするけど。 *この後の私の返信メールが何故かフォルダに保存されておらず、思い出すと以下のような内容だったような。 (私) いくら理論上、核兵器の製造は容易だと言っても、本当に追い詰められた者にそれを製造して使用する余裕なんかないでしょう。それ以前に、核兵器を使用するのは追い詰められた弱者ではなく、むしろ人間をモノ扱いしている(余裕のある)側の狂気でしょう。アメリカが日本に対して使用した原爆がそうであったように。 追い詰められて自暴自棄になった弱者が、「こんな世界は滅びてしまえばいい」と思ったとしても、せいぜいサリン蒔くとか、トラックにダイナマイト積んで突っ込むとか、その程度しかできないのが人間ではないのでしょうか。99%の人間は核のボタンなんか押さない。私はそう信じています。 追い詰められたガザの側(あるいはパレスチナ・アラブ)が核兵器(かどうかはともかく)でイスラエルを消滅させようとする、と、その「妄想」こそが、イスラエルによる「過剰防衛」のなぶり殺しにつながっているのではないかと思いますし、そういう妄想が実は一番危険なのではないかと思うのです。 (先輩) つまり、「理性的に考える」事を圧倒してしまうような絶望にとらわれた時、むしろその絶望の中に身を投じてしまう魅力に逆らえるかということです。僕には自信が無い。 確かに、妄想だけど、それ以外に信じられるものが無かったときに、拒絶できる自信は無い。 *やりとり終了 私も旅先で酒も入っていて、携帯メールのやりとりなので、はっきり言って自分自身の思考も雑だし誤読もしているし言葉を尽くせていないし、先輩の方も言いたいことがすべて書かれているわけではなく、私の方でくみ取れていない部分もあるだろうと思う(たとえば、イスラエルの側の被害妄想、という点では、そこに「神話」が大きな役割を果たしていることは否定できない)が、こんなことを話したという備忘録としてここに書いておこうと思う。 ガザの人々が置かれている状況を、私も先輩も、ただ想像することしかできない。だから、実際にそこに身を置いたとき、何を考え、どう行動するか、それはわからない。実際にそこに身を置いたら、きっと、自分でも想像しなかったようなことを考え、行動するのだろうと思う。だから、「それ以外に信じられるものがなかったとき」という、究極の限定状況であれば、確かに先輩の言う通りかもしれない。しかし、今すべきことは、そんな「限定状況」を妄想することではなく、どうしたらそんな「限定状況」を作らないかということではないだろうか。たとえば直接的には何の力もないネット上の言説であっても、世界にはイスラエルの攻撃を非難し、ガザの人たちを心配している人がたくさんいるのだと、ガザの人たちに伝わるだけでも、そんな究極の限定状況を回避するひとつの手助けにはなるはずだ。 マルチン・ルターの言葉だとか、ゲオルギウという作家の言葉だとか、開高健の言葉だとか 色々説があって出所不明の言葉のようだが 「もしも明日世界が終わるとしても、私は(「君は」となっているものもある)林檎の種(「苗」もある)を植える」という言葉が好きだ(なんか石原慎太郎もどこかで引用しているらしいが、、、)。 これ、「私は」と「君は」では若干ニュアンスが違う。「君は」だと、「もし明日世界が終わるとしても、君はそれを知ることはできない」(神のみぞ知る、つまりそんなことを考えても仕方ない)という意味になるが、「私は」となると、というか、私はそう理解して心に忍ばせているわけだが、「もし明日世界が終わると知らされても、ジタバタせずに自分のすべきことをする」という意味にとれるのだけど、まあ、出所不明なのでそれはともかくとして。 よく話の種として「明日世界が終わるとしたら何をする?」なんていう質問がある。 「セックスしまくる」「好きなモノを腹一杯食べる」「嫌いな奴を殺す」なんていう答えをよく聞く。 いずれも、本当にそういう状況に置かれることは無いと思っているから言えるたわいない回答だろうと思う。酒の席でこう答えたら「面白くないヤツだ」と言われるだろうが、私は「そうか、と笑って、いつも通りに暮らす。そうありたい」と答える。無論、それもそうあれたらいいな、という願望に過ぎない。そんなに理性的でいられるわけがない、と笑われるかもしれない。 願望に過ぎないかもしれないし、理想に過ぎないかもしれないが、少なくとも、人間のすべてが自暴自棄になって破滅的になるとは、私は思わない。イスラエルの中にも、ガザへの攻撃に反対する人たちがいるように、必ず最後まであきらめずに理性的にも心情的にも根気強く問題を解決しようとする人はいるに違いないと信じる。大日本帝国にもナチスドイツにも、どれだけ弾圧されても戦争に反対し、和平のために動いていた人たちはいたのだ。そして、大なり小なり、実際は多くの人がその力を持っているはずだとも思う。様々なプロパガンダや歪んだ教育や経済的な呪縛、有形無形の脅迫などによって、それが押さえつけられているだけだろうと。 理想主義だといわれようと、最後は人間を信じたい。人間がいかに愚かな生き物かはわかっているけれども、それでも信じたい。そこからしか、解決の糸口は見つからないと、信じる。それは決して「妄想」ではない。逆の「妄想」は果てしない猜疑心と殺し合いしか生み出さない。信じられなければ、「未来」を生きることはできない。 とにかく、まずは戦闘を中止して、ガザの封鎖が解かれることを、ただひたすら祈る。 そして、彼らが共存できる道が見つかること(そして、そこに「戦争屋」どもが余計な介入をしないこと)を祈る。 |
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