恵比寿大黒屋日記

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<<   作成日時 : 2009/08/01 01:45   >>

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梅雨が明けたら明けたで暑い、、、

長雨&いろいろバタバタ&仕事も忙しい
で、このところ体調下降気味ですが
こんなところでくたばっていては長い夏を乗り切れないので
なんとかふんばってまいりましょう。
毎年職場で行かせてもらっている健康診断も
今年は3年ぶりに再検査無しでパスできたし。

で、お知らせ。
まずは迫って来ましたこちら。

***

ヒロシマ平和映画祭2009 オールナイトプレイベント

会場:横川シネマ
2009年8月5日(水) 18:30開場予定、19:00開演予定
→6日(木)早朝終了予定

★上映作品

『マリーンズ・ゴー・ホーム2008年版』より。
体を張って新基地建設を阻止する辺野古
撮影者:浅見裕子

『アメリカばんざい Crazy as usual』
(藤本幸久監督、118分、2008年)
米軍は「志願制」だが、その実態は「貧困徴兵制」だと多くアメリカ人が言う。「大学へ行くため」多くの若者が軍隊を選ぶ。
つい最近まで、高校生だったごく普通の若者が、戦争できる兵士へと作り変えられ、戦場へ送られる。人を殺してしまったら、元の自分には戻れない。命令を拒否しても、軍法会議で処罰を受け、大学も、仕事も、保障もすべて失う。
人を殺してしまった若者・ダレルは、どうやって生きてゆけばよいのか。戦争を拒否した若いパブロ夫婦はどうやって暮らしてゆけばよいのか。
http://www.america-banzai.com/

『マリーンズ・ゴー・ホーム2008年版』
(藤本幸久監督、120分、2008年)
米軍の新基地建設を11年間とめ続けている沖縄・辺野古(へのこ)のおじいやおばあたち。20年の闘いで、米軍の射爆場を撤去させた韓国・梅香里(メヒャンニ)の漁民たち。40年間、北海道・矢臼別(やうすべつ)演習場のど真ん中に暮らし続ける農民。志を守り、屈せずに、闘い続ける人々の姿がある。
http://www.hayaokidori.squares.net/marines_go_home/index.html

『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』
(早川由美子監督、97分、2009年)
イギリス反戦活動の生けるシンボル、ブライアン・ホウと彼のサポーターたちを、約1年半に渡って追い続けたドキュメンタリー。イギリス国会前の広場にテントを張って生活をしながら、8年以上、1日も休まず、英米政府のテロ撲滅戦争に反対するブライアン。映画は、政府や警察の圧力により表現の自由が脅かされている現状と、それに対してユーモアあふれる精神で果敢に対抗する人々の姿を伝える。
http://www.brianandco.co.uk/

『Pak Poe 歌いたい歌がある 在日コリアンアーティスト朴保』
(田中幸夫監督、約70分、2009年)
http://www.pakpoe.com/news.htm
http://www.uplink.co.jp/x/log/003112.php

★そしてライヴも!

朴保バンド ライヴ

…彼の歌声は透明で、情念の奥からこみあげる恨(ハン)を感じさせる… (小説家 梁石日)
名曲「ヒロシマ」「傷痍軍人の歌」、映画『夜を賭けて』主題歌「いつの日にかきっと」。
朴保は常に、ブレることなく、怒りをぶつけ、愛をうたってきた。
呉と広島で、8・6をはさんでの怒濤の3 days決定!
いま、ヒロシマに朴保の声が響く。

PAKPOE official website
http://www.pakpoe.com/

*各上映作品監督によるトークも予定。

会場:横川シネマ
18:30開場予定、19:00開演予定
前売り3500円、当日3800円
(問い合わせ)080-6306-8689 ヒロシマ平和映画祭実行委員会
*タイムスケジュール未定

ヒロシマ平和映画祭公式サイト
http://sites.google.com/site/peanutsff/

ヒロシマ平和映画祭ブログ
http://blog.goo.ne.jp/hpff2009

横川シネマ
http://yokogawa-cine.jugem.jp/

***

以下は少し先ですが
是非お聞き逃しの無いように!

***

シカラムータ 結成15周年記念大ツアー
今回はツイン・テューバの重低音でボディソニック祭り!

9/12(土) 18:30 OPEN 19:00 START
at Cafe Teatro Abierto (JR可部線上八木駅下車すぐ)
前売3500 当日4000
問い合わせ 082-873-6068(アビエルト)
090-4896-0967(中山)

***


ミユキタンゴ

広島あたりだと、「タンゴ」と言っても「社交ダンス」のBGMみたいなのしか
聴いたことがない方も多いのではないかと思いますが
タンゴはそんな甘っちょろい音楽ではありません!
迫力ある生のタンゴのグルーヴをソウルをお楽しみに。
10/6(火) 19:00 OPEN  19:30 START
at Cafe Teatro Abierto (JR可部線上八木駅下車すぐ)
3000yen(1ドリンク付)
問い合わせ 082-873-6068(アビエルト)
090-4896-0967(中山)
(★決まったばかりなので詳細変更等ありましたら随時UPします)

***

8/6が近いこともあるが、なかなかあわただしい。
あさってはムッシュBの映画に使うかもしれないソースとして
縮景園で踊るところを撮影する予定。
体調もイマイチで今のところあんまりはっきりした構想も浮かばないが
ムッシュBからは好きなようにやってくれと言われているし、まあ出たとこ勝負なのかなあ。
貸し切りできるわけでもないのでリハーサルってわけにもいかないし。
日本庭園、外国人にはエキゾチックでいろいろイマジネーションかき立てられるのかもしれない。
以前話のあった(結局今のところポシャッたままだけど)北欧の写真家が広島を撮った作品も
縮景園を題材にしていた。
日本人がヒロシマを描くのに、縮景園はまず持ち出さないだろう。
有名な上田宗箇の作庭だそうだが、もとは広島藩主の別邸
要するに、こう言っては身も蓋もないが、お金持ちの道楽ですわな。
こういう金持ち趣味の庭園は私はあんまり好きではない。
しかも、一度原爆で壊滅したのを戦後に復元したということで
いくら復元と言っても、江戸時代の庭園のエッセンスを戦後の庭師がどれくらい復元できたものか
それは外形上復元できても本質的には何か別物なのではなかろうかと
戦前の縮景園(泉邸)がどんなだったか知らないままに思ったりする。
まあ、それはそれで、ひとつのフェイクとしてとらえれば何か切り口があるかもしれない
(もともとこういった庭園自体が自然の名勝を模した、あるいは理想の楽園を描いたフェイクなのだし)。
江戸時代の庭園の背景に広島一の超高層ビルがそびえ立っているなんて
まあ、いかにも現代的な間の抜けた絵ヅラではある。
ムッシュBはどういうものとして縮景園をとらえているのかな。
今の「ヒロシマ」のフェイクな「平和」はきちんと見通している人だから
当然、単純に「ニッポンテイエン、ビューティフル!」ってわけじゃなかろう。
エキゾチズムに浸る外国人観光客とは違う何かをそこに見ているはずだ
(北欧の写真家の作品も、そこに濃厚な「死」のイメージを重ね合わせていた)。
無論、「夏の花」の中にも、原爆投下後に原民喜が歩き回った場所のひとつとして泉邸があるわけで
それがひとつイメージの下敷きにあるのは間違いない。
当時、この広大な庭園は格好の避難場所になっただろう。
かといって、たとえば原爆の業火の中で泉邸を逃げ惑う人びと、
というのも、イメージとしては安易にすぎるし
今の縮景園にはそういう空気はあんまり無いし。
では逆に、現在の広島市民にとっての縮景園、と考えても
私にはあんまりイメージできるものが無い。
お花見? 「憩いの場」という感じでもないし。
まあ、ただの観光名所。
すぐそばには高層マンションが建って
「ただで縮景園が見える」ってのがウリだったりする。
なんなんだろう、あの場所の持つ意味って。
なんていろいろ思い惑ってはみるのだが
16mmのカメラのレンズを通してどのようにフィルムに焼き付けられるのか
映像に撮られることを前提に踊ったことのない私にはうまく想像も出来ない。
もちろん、ムッシュBがその映像をどう使うのかも作品ができあがるまでわからないし。
案ずるより産むが易しで
その日その場所で感じたままに身を任すしかないのかな、という気も。
まあ、それも言うは易く行うは難し、ではあるのだけど^^;
縮景園というシチュエーションに「合わせる」より
そこに何を「ぶつける」か、だな、きっと。
ぶつけたきしみから聞こえてくる声、があれば、多分上出来、なんだけど。
とりあえず思ったようにやってみて、あとはムッシュBを信じてお任せ、
できあがってのお楽しみ、だよなあ。

***

追記 8/1

何気なくTVをつけたら
今日は縮景園で原爆死没者の慰霊祭があったとのこと。
戦後、縮景園の敷地から何十人もの遺骨が掘り出されたということだ。
縮景園という庭園自体はどことなくフェイクな気がするのであるが
そこで亡くなった方の遺族にとっては特別な場所であるに違いない。
そのことは胸に留めて踊らなくては。
そうは言っても、広島ではどこもかしこも足下には死者がうごめいており
いや、広島に限らず、世界中どこであっても
今この世界を生きる私たちの足下には数え切れない死者が息を潜めているのであって
原爆の被害者だけが特別な死者なわけではない。
原爆投下という「事件」そのものは空前絶後の
決して忘れてはならない歴史的大惨事であり、人類史上最悪の犯罪のひとつに違いないが
その被害者が「特別な死者」なわけではない。
この世界に生きる「生者」が、みな「同じ人間」であるのと同じく
死者たちもまた、同じ死者なのだ。
原爆被害者の死を想うことで、平和への願いを新たにすることは大切なことに違いないが
あまり特別視、さらには「神聖視」しすぎると、靖国と変わらなくなってしまう。
「広島の戦争被害者」に限ったとしても
そこには原爆被害者だけではなく
中国や朝鮮から連れてこられて強制労働の果てに死んでいった方もあるだろうし
天皇や軍部を批判して拷問の果てに殺された人もいただろうし
戦時経済の窮乏の中で衰弱死した人もいただろう。
様々な死者の上に、私たちは生きている。

それにしても、縮景園の慰霊祭でも子どもに平和への願いか何かを朗読させていて
これは8/6の平和公園での慰霊祭でも毎年行われる恒例行事であるが
「平和」も「戦争」もよくわかっていないような子どもを引っ張り出して
あたかも「純粋な平和への願い」みたいな演出をするのはいい加減辟易する。
戦争を起こすのは大人である。
大人たちが「決して戦争はしない」と誓わなければ、戦争はなくならない。
子どもにそれを代弁させるのは、考えようによっては大人の無責任ではないかと思われてならない。
大人たちこそが、子どもたちを守るために責任もって「決して戦争はしない」と誓うべきだろう。

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