恵比寿大黒屋日記

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<<   作成日時 : 2010/03/26 21:41   >>

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生きていくことそのもの

最新号のインパクションに原稿を書いた。
「なりわい」ということばについて。
「生業」としての、つまりは食べていくための職業というのが
多分一般的に考えられている意味だろう。
「正業」となるとさらに冷酷で
これについていないと社会の厄介者としかみなされない。
ところが、辞書を引くと「成合」というのも出てくる。
「なりゆきのまま」とかいう意味らしい。
本当は「生業」のなりわいと、「成合」のなりわいは
そもそもの語源からしてまったく違う言葉なのかもしれないので
ある意味いい加減な原稿になっちゃてるんだけども
まあ、論文書いてるわけじゃなし、軽いコラム的なコーナーなので
そこら辺はただの「読み物」としてご勘弁願いたい。
要は、「正業」についていなければ社会人として失格、みたいな風潮が嫌で
ナニモノだか分からないような、何で食ってんだかわかんないような人も
この世の中には必要だし
上の方から与えられた「目的」や「理想」に縛られて生きるのも嫌だという話だ。
人生なんてどこでどう転ぶか分からないし
いつどこでどんな人と出会うかもわからない。
無理に自分が進むべき人生のレールやら
たどりつかねばならないゴールなんぞ決めてこだわっても仕方ない。
それが、なんだかよくわからないけど周りがそうだから、というだけで縛られるなら
なんだかつまらない人生じゃないかな、と思う。
なるがままに、様々な出会いの導くままに生きていくことは
なかなか楽しいものなのである。

そしたら、最近ネット上でたてつづけにいくつかそんなような発言を目にした。

まずは、上記原稿にもご登場いただいている谷本さんのBLOG
(以下引用)
誰のタメに、誰のユエに。そのことを考える。タメにってのは向かっていく方向性。〜に向かって、対して、に似ている。ユエにってのは自分を後ろから押し出す動機。タメには未来的で、ユエに、は過去的、と言えるかもしれない。
表現というものは自分のために、自分のユエに。そうだ。
いや、聴いてくれているお客さんのタメに、ユエに。そうだ。
しかし大切なのは「興」だ、と今回改めて。両手で杯を持ち、地霊を呼び出し興すために地に酒を注ぐ儀式を表す字だと、白川静は言っていると大槻オサムは教えてくれた。つまり、死者たちのタメに、死者たちのユエに。彼らをエンターテインするために。彼らを興すために。彼らを躍らせるために。彼らが我々を躍らせ、弾かせるゆえに。彼女らが我々を興すゆえに。そういうことから離れられない者たちとして、離れない者たちとして、表現すること。それはもはやきっと「シゴト」だ。「職」だ。いやなりゆき上そうなっちゃった「なりわい」かもね。(引用終わり)

そう、なんだか「タメに」ばかりが多すぎる。
向かうべきゴールが先に決められていて
そこへ行き着く「タメ」のマニュアルや最短ルートを血眼で探してたりして。
殺伐としちゃってるんだよなぁ。
それよりも「ユエに」。
自分の歩んできた道のその先に見えて来る道。
予期せぬ出会い、縁が導く脇道へとちょっと寄り道してみたら
その先に思いも知らなかった別世界が広がっていたりして。
過去が背中を押し、今が手を引くその先へ。その「ユエ」に。

田口ランディさんがツィッターで。
(以下引用)
・作家であることに執着してる自分になってきたので、今年は書くのをやめてみた。肩書きにこだわらないと、やることに制限がなくなって楽しい。町内会のおばちゃんでいいと思うと、書くのも楽だ。
・私は「○○しよう」という意図的なポジティブシンキングは一切しない。楽しく生きるために故意に自分に課していることなど一切ない。そういうのは、自分をだましてるみたいでなんか違うなと思う。
(引用終わり)

わはは。
これはこれで十分「ポジティヴ・シンキング」じゃないかと思ってしまうけど
世の中、押しつけられたポジティヴ・シンキングも多いもんね。
結局、会社に奉仕させられるだけのポジティヴ・シンキングを無理矢理自分に課したりなんかして。
すっごいマゾ。
でも、人間それが快感になったりもするからなあ。
奴隷願望みたいなもんもあるのは確か。
私はごめんだけどね。

お次は北村想さんのBLOG
(以下引用)
何か「目的」があって生きているひとは、しんどいんじゃないかと思う。その点、私は名古屋に出てきたのに何の「目的」もなかったから、しんどいとか苦しいとか、辛いとか、そういう思いはしたことがなかった。
(中略)何度も書いているみたいだが、私は「人生設計」も「生活設計」も、要するに生きることに対しての「目的」というものを持ったことがナイ。〔渡世〕は「目的」ではナイ。生きていくのに「必要」なことだけをやってきたし、これからも、そんな渡世はカワラナイ。説教くさくなったら申し訳ナイが、よく「生きる目的がワカラナイ」だの「みつからない」だのいう、まだ若いひとが、けっこう世間にいるのだが、「目的のナイ人生」ほどステキなものがあるだろうか。私は私を「必要」としてくれるひとには、相応に応えるし、私が「必要」としているひとも、存在してくれるのだから、それ以上は何も望まない。
(引用終わり)

うん、〔渡世〕、「なりわい」に通じるなあ。
人と人との関係性の中で生じる「必要」、「ユエに」だ。
身の周りを見渡してみても、そのようにして生きている人は
みんな楽しそうで、生き生きしてて、かっこいいのだ。
「こうでなくてはならない」という「目的」に縛られて生きている人は
その目指す目的はきっと大きいのかも知れないけれど
がんじがらめで萎縮して見える人が多かったりするもんね。

ゆうべはkobaで深夜のシークレットライヴ。
ストリッパー牧瀬茜さんと、変幻自在のベーシスト兼ヴォーカリスト梶山シュウさんと、不肖わたくしでの
完全即興パフォーマンス。
先日の「すとりっぷ魂 巡業展」でのギャラリーG前でのパフォーマンスに続き
まだ2回目の顔合わせなんだけど
何の打ち合わせも無いのに、不思議と息があっちゃうから不思議な取り合わせなんだよね。
この先も続いていくユニットになるかも。
快くお店を使わせてくださったkobaのBOMさんも、大熱狂。
みんなみんな、自分の生きてきた道、自分の出会ってきた人との関係性の「ユエに」
背中を押されるまま、自分の「今」が導くままに、生きることを楽しんでいる人たちばかり。
だって、牧瀬さんは現役トップ・ダンサーとして、劇場に立てばそれなりの出演料をもらっているはずだし
シュウさんだって、歴としたプロのミュージシャンとして食ってる人。
だけど、「面白そうだからやる!」って、ごく自然に、こんな投げ銭ライヴ。
なにかご大層な「ナニカ」になるという「目的」も「ゴール」もありはしないし
「私は○○だから」なんていうつまらないエゴもプライドもない。
そんなものよりかけがえのない、生きることの楽しさを知っている。
だからこそ、「今、このとき」を誰より楽しく生きることができる。
そしてそれがひとつひとつ、また明日へとつながっていく。

今を楽しむ、と言っても、ゲームや娯楽施設に行って「楽しい」っていうのは
遊んでいるつもりで遊ばされているだけ。
後に残る物なんかほとんどない。
大切なのは、楽しいことは自分で作っていくってこと。
それは間違いなく自分の養分になる。

必要なのは、決められたレールを踏み外さないよう生きていくためのマニュアルなんかじゃない。
「目的」に最短距離でたどりつくためのハウツーでもない。
大事なのは流れの中で自分を見失わない力だ。
それがあれば、流れのままに、「成合」のままに素敵な人生を生きていける。
マニュアルを捨てて、ハウツーを捨てて、流れの中に身を投じてみることの中でしか
その力は身につかない。
「なんとかセミナー」ではそれは絶対教われない。
すべては「渡世」の中に、人と人との縁の中にあることで
レールの外の回り道の中に、それはより多く見つかるものだ。

***

すげえ、これ、百姓一揆?!


「へっへっへ、やっぱり庶民の生き血を吸って暮らすのはたまらんのう」
「ちくしょう。もう我慢なんねえだ。おらたちゃ、おめえらの食いもんじゃねえ!」
「何ぃ、きさまら、、、、え、あ、ちょ、ちょっと待て、何をする気だ?」
「うるせえ、今日という今日はもう許さねえだ!」
「き、きさまら百獣の王にたてつくとは、無礼な、、、。あ、あとでどうなっても知らんぞ」
「そんな脅しがいつまでも効くと思ってるだか! それ、みんな、やっちまえ〜」
「わ、わ、わ、すまん、わしらが悪かった! 命ばかりはお助けを〜」

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