恵比寿大黒屋日記

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<<   作成日時 : 2011/06/13 03:05   >>

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パフォーマンスとか

このところ体調も梅雨入りな感じですが
ボチボチやっていきます。

6/10
「ホシチカ」呼びかけ人でもある市大の湯浅さんのお宅にて
羽鳥智裕さんの華道パフォーマンス。
湯浅さんから「福島の土を活けてほしい」というリクエストに応えたものだそう。
という予備知識は無いまま仕事終わって開演ギリギリに到着。
お庭に吊した2枚のシーツ。
ドラム缶を縦半分に切って脚をつけた
あれって何て言うんだっけ?
バーベキューなんかに使う、火を燃やすの。
あれに火が入っている。
外は雨。
羽鳥さんは庭石の上に正座してまず深々と一礼。
やや横から見ていたせいもあり
伏した上体の下に肘から先が深くたたみ込まれる姿勢のため
肩から肘までしか見えない腕が
ふと腕を失った、もしくは先天的に欠損した身体に見えた。
「フクシマの土を」という予備知識無いまま
イマジネーションはフクシマへとつながっていく。
左側のシーツに墨で「山」の字。
ひょうたん型に描かれた「山」の字が
これも原子炉に見える。
幾度も重ねてそのひょうたん型が描かれていくうち
私には何か黒い魔物のように見える図柄となっていった。
続いて右のシーツ。
演後にうかがったところでは
水の流れをイメージしていたそうだが
墨で横に何本か線を引く
それが雨に濡れ風にはためくシーツのせいで
途切れ途切れの線となる。
線といっても筆ではなく腕を使って描いているので
ある程度の太さがあり
途切れ途切れになるため大きさのまばらな四角形が
ランダムに浮かび上がる状態になり
私には霧に煙る街の遠景と見えた。
そこに今度は円を描くように墨のしぶきを散らしていく。
煙たなびく廃墟に降る黒い雨。
そんな風に見えた。
それから火の上に、枯れたツタ、枯れ木、生花が活けられていく。
「活け」られていくのだが
燃やされるのだから同時に殺されているのだ。
生かされているのか殺されているのか。
フクシマに限らず、現代社会に生きている自分たちの
危うい生と重なってめまいを覚える。
しかし、そのようなメタファーとしてだけではなく
「死」を「正しく死なせる」、つまりは「葬る」「弔う」行為のようにも思われた。
「活け」られる花は、切り花であってそもそも「死んで」いる。
「死んだ」花を、あたかも生きているように見立てるのが「生け花」であろうが
それはどこまでも仮構である。
現実には花は「死んで」いるのだ。
水にさせば多少枯れずに保つだろうが
それは生命維持装置で生かされているが助かる見込みの無い病人のようなものだ。
火の上に「活け」られていく枯れ木と生花。
死ぬことも許されない死者を
その落ち着くべき「死」へと返してやること
「鎮魂」
その前に一瞬だけ、生きていた頃の面影を「今」に焼き付ける。
ところが
終盤、花は焼き尽くせないほどに一気にどかっと盛られてしまうのだ。
怖気が走った。
「死」を「死ぬ」ことのできない、溢れるほどに積み重なった「死者」。
「死屍累々」
という言葉が頭をかすめる。
そして羽鳥さんは再び一礼し
短く挨拶をしてパフォーマンスは終わる。
大半の観客はそこで「終わった」と歓談し、帰り支度を始める。
しかし、雨の中で花は燃え続けている。
「パフォーマンス」は終わったかもしれないが
作品はまだ「続いている」のだった。
私はある程度燃えていく様をその後も見続けた。
底の方で燃え尽きた枯れ木が崩れると
上に乗っかっている花や枯れ木が「ズルッ」とふいに蠢く。
「おれたちはまだ死んでいない」
「黙って死んでいくわけにはいかない」
そんな怨嗟の声を聞くようで身震いした。

震災前は東京で活動していた羽鳥さんだが
今後は広島の豊平に移住して活動を続けるそうだ。
今日はもうフランスに旅立っているはずだ。

翌11日。
震災から3ヶ月ということで
日本全国で100カ所以上の同時デモ。
東京新宿アルタ前には2万人が集結したそうだ。
それにくらべると広島のデモは少し人数が少なかった。
デモだけがアクションではないし
数だけが問題では無いだろうが
「ヒロシマ」の関心、アクションとしてはやはり寂しいかぎり。
沿道からの視線も冷たく感じられた。
大きなうねりを作るには
デモのやり方にもきっと問題があったように思われた。
4月のデモが結構人数が集まった
(と言ってもこの日の人数を考えると
県外から集まった人が多かったのだろうと推測される)
せいか、この日は警察の数も多く
デモ人数に比べるとものものしい警備だった。
周囲を警察に固められ
「デモ参加者の安全のため」という名目の
威圧的な拡声器での警告の中
仮に共感する人が沿道にいたとしても
途中から加わっていけるような雰囲気ではなかった。
個人的にはあまり気分の高まらないまま歩いていた。

夕方から、マツザッキン&メグミ夫妻、藤堂信行、中島由美子と
原爆ドーム対岸の河川敷でパフォーマンス。
タムラ・ド・ヒサシィといさじ章子さんも飛び入り。
小さいけれど自分たちに出来ること
自分たちにしかできないことを
これからも継続していくしかない。
あまりに事態は深刻かつ複雑化していて
正直、戸惑うことの方が多く
パフォーマンスするにしてもひとつのテーマにピントを合わせるようなことはできない。
だけど、やり方も受け止め方もいろいろだろうと思う。
あえて単純化して、「脱原発」「震災復興」をテーマにするのも
一つの向かい方だろうが
複雑なものを複雑なまま受け止めて戸惑いながら立ち尽くすしかない
そのような受け止め方もあっていい。
単純化・合理化は同時に「切り捨て」でもある。
どちらが正しい、ではなく
どちらも必要なのだ。
ただ、受け止めること自体を放棄して
感覚を麻痺させていくことが事態をさらに悪化させる。
広島市民というのは
65年間背負わされ続けた「ヒロシマ」の重みの中で
世界中の人たちが「ヒロシマ」に抱く希望とは相反して
すでに感覚を麻痺させてしまっているように見える。
広島の問題は「フクシマ」よりも
「ヒロシマ」とどう向き合い直すかが先決なのかもしれない。
すべてはこの場所から始まったことだ。
歴史上最初に原子爆弾が使用された場所。
しかし戦後のアメリカの影響下で
「広島の復興」は「核の惨禍からも容易に復興できる」という
ある意味核の恐怖を薄める役割さえ果たし
放射線被曝の恐ろしさを誰よりわかっているはずの広島が
「核の平和利用」というペテンを容認し続けて来たことが
地震列島に50基以上の原発を抱えるこの国の現状につながっている。
反核・平和の象徴としての広島は
同時に戦前の「軍都・廣島」をそのまま引きずり
「国策」の片棒を担ぎ続ける都市でもあるのだ。

極論の皮肉であることはことわっておくが
広島が被爆直後に言われたように
「100年は草木も生えない」
廃墟のままであったらどうだっただろう。
きっとこれほど原発が林立するようなキチガイじみた事態にはならなかったに違いない。
広島という都市の経済的繁栄は
皮肉にも「核の安全性」を裏付けることに利用されてきたし
同時に復興を願う広島市民にとっては
放射能のマイナスイメージは消し去らねばならないものでもあった。
「反核・平和都市」というのは観光イメージだけに留められてきた面があるだろう。
そんな「共犯関係」を、広島はもう一度考え直すべきだろうし
それをしないなら「反核・平和」の看板など下ろした方が良い。
そういえば、広島の平和資料館にある「地球平和監視時計」は
この5月27日に「米国が昨年11月18日と今年3月31日に新たな核実験を実施していた事態を受け」
「直近の核実験からの日数を示す「地球平和監視時計」をリセットした。」
そうだ。
今も福島で原発が燃え続け
多くの人が被曝し続けているさなかに
なんとも呑気なハナシに思えてならない。
平和資料館は「ふくいちライヴカメラ」だけでも流したらどうなのだ。
自国の招いた未曾有の原発事故を
世界中から来る人たちに伝えるべき使命があるのではないのか?
外国からの核攻撃ではなく
自国の原発「人災」事故によって
多くの被爆者を生み出してしまった今
「二度とヒバクシャを生まない」ことが悲願の「ヒロシマ」であるなら
平和公園の日の丸など降ろすべきではないのか?

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