恵比寿大黒屋日記

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zoom RSS 「ホシハ チカニ オドル」上演30回到達!

<<   作成日時 : 2016/02/02 22:47   >>

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先週の北九州4公演で
やっと31公演に達しました。

あんまり自分の作品について多く語らないのですが
5年かかって30公演に到達した感慨もありますし
少し書いておこうと思います。

「ホシハ チカニ オドル」は、北九州のバイオリニスト、谷本仰さんの生演奏と
私の一人芝居による作品です。
スタッフ、ファンの間では「ホシチカ」と呼び習わされています。

私が学生時代に広島で芝居をするようになり
学生劇団の解散後
葉桜由良之助と「フン賊」という劇団を旗揚げしました。
アングラ・テント劇に影響を受けながら10年ほど活動しましたが
2004年を最後に休止状態に入ります。
その後、私は「単独旅行舎」名義で
身体パフォーマンスなどを始めました。
谷本さんと出会ったのはそのころです。
学生時代の友人である尺八奏者の森川良哉が
谷本さんとのデュオで広島のOTIS!にライヴに来た際
ふたりで我が家に泊まっていったのでした。
それで飲みながら深夜までお芝居の話などで盛り上がったのでした。

2005年から
谷本さんが、毎月違うジャンルからゲストを呼んで
1ヶ月で対話を重ねてライヴをするという試みを始めました。
その6回目のゲストとして声をかけていただいたのですが
この時点で谷本さんは私のお芝居は一度も見ていません。
「え、いいんですか?」とびっくりしましたが
「あのときの話が面白かったから、絶対面白いことができると僕は勝手に信じてる」
と。
当時、私は自分自身の活動は停滞していて
このままフェードアウトして表現活動の世界から離れていってしまうのかな
という気持ちにもなりかけていたところでした。
私自身も、一度ライヴを聴いて
一度話をしただけの人と何ができるだろうと悩みましたが
これを断ったら本当にもうお芝居やめてしまうことになるような気がして
やるしかない、と思ったのでした。
そこで広島と北九州、メールや電話で1ヶ月いろいろとやりとりしながら
「死者の書(てがみ)」という作品にして
小倉のケイトミュージックで上演したのです。
様々な場所、時代の死者たちが
次々とモザイクのように現れてモノローグが積み重ねられていくような作品で
「ホシチカ」が作品として形を現してきたとき
「あ、これはあのときの「死者の書」でやろうとしていたことの続きだ。
 あれから色んな形で谷本さんと芝居やパフォーマンスに関わってきたけど
 それが全部ここにつながったんだ」
と思ったのでした。

この最初の共演の翌2006年
東京のテント劇団「独火星」の池内文平氏による
「新しい天使〜月にいちばん近い丘まで」という作品を
広島のメンバーで上演したいと
「フン賊」メンバーだった田中亮太郎から発案がありました。
韓国の民主化闘争の記憶を主題とした
重いテーマの作品で
これに音楽をつけられるのは自分の中では
やはり谷本さんしかないだろうと思い
劇伴をお願いしました。
広島公演を迎えるにあたり
徐々にこれはいい作品になったという手ごたえが出始め
谷本さんの地元である北九州でも上演したいね
という話になりました。
そこで、共通の友人であり
北九州の演劇制作者である谷瀬未紀さんに広島公演を見に来てもらい
北九州公演の制作をお願いしました。
ここから谷瀬さんともたくさんの芝居やライヴパフォーマンスを
一緒に作っていくことになります。
「ホシチカ」においても
彼女の力無くして上演は続けられません。
その後、谷瀬さんの盟友とも言える
演劇人、大塚恵美子さんがパーマネントなメンバーとして加わり
より安定感のある、信頼性の高い座組みとなりました。
そして、このときの「新しい天使〜月にいちばん近い丘まで」も
「ホシチカ」の底流に間違いなく流れている作品です。

翌2007年
友人で広島市立大学国際学部教授の湯浅正恵さんから
旧日銀広島支店で開催される「オリーヴ・プロジェクト」で
何かパフォーマンスをしてほしいと依頼がありました。
パレスチナ問題を題材としたアート作品の巡回展です。
ここでも、音楽を谷本さんにお願いしたのですが
この湯浅さんが、のちに「ホシチカ」の最初の仕掛け人となります。

2010年に入るころ
山口県の上関原発の建設工事が始まろうとしていました。
上関原発の建設計画が持ち上がったのは
1982年にさかのぼりますが
対岸にある祝島の住民を中心に粘り強い反対運動が続けられ
着工を阻止してきました。
http://stop-kaminoseki.net/keii.html
しかし、このころ
中国電力はついに工事を強行し始めたのです。
これを受けて
広島でも若い人たちを中心に
「NO NUKES RELAY」というムーヴメントが起きていました。
その一環として
1999年の東海村JCO臨界事故
1986年のチェルノブイリ原発事故で犠牲になった死者たちの声を
蘇らせるようなパフォーマンスをしてほしい
という依頼が、湯浅さんから舞い込んできたのでした。
そこで再び谷本さんに声をかけ
広島市内のkobaというお店で
「Dialogues in the Dark」という、半ば即興的なパフォーマンスを行いました。
2010年2月のことです。
しかし、即興でありながら
非常に密度の濃い
しかも、それまでふたりでやってきたことの
集大成的な雰囲気のあるパフォーマンスが生まれてきたことから
これはできたらきちんと作品化したい、という思いが生じました。
その年の秋
谷瀬さんがプロデュースする門司港での「海峡演劇祭」で上演するということになり
セリフを加えた演劇的作品に進化させていきました。
「海峡演劇祭」ではまだ「Dialogues in the Dark」という作品名でしたが
視覚障害者の方に案内されて暗闇を体験するイベント「DIALOG IN THE DARK」との
名称のまぎらわしさもあり
翌年2月の広島公演から「ホシハ チカニ オドル」と改題されました。
思えば、作品の本質を見事に言い表した絶妙なネーミングであり
このタイトルから触発されて作品がその後深まっていった部分もあるように思います。

そして2011年2月の広島公演の直後に
3月11日、東日本大震災が起こり
翌12日には福島第一原発が爆発するという大事故が発生しました。
原発事故を扱った作品である以上
現実に目の前でそれが起こってしまったことに衝撃は深く
スタッフ一同
この作品についてもう一度問い直すこととなりました。
しかし
この作品は福島原発事故を経てもなお
強度を失うことは無い
むしろ今こそ上演し続けるべき内容の作品であると確認しあい
この年の7月に福岡公演を行いました。
「ホシチカ」では終演後に毎回ゲストをお呼びして
お話をうかがうトークタイムを設けています。
この福岡公演のトークタイムで
谷本さんが「100回公演を目指します」と口走ってしまい
以後、本当に100回目指して公演を続けようということになりました。
100回、というのは
私はあくまで目安だと思っています。
そして、できれば100回公演に到達する前に
この作品を上演しなくてもいいような
原発の無い平和な世界が訪れれば一番いいと思います。
が、原発の危険、被曝の不安が続く間は
できるだけ長く、あちこちで上演をし続けていきたいと思っています。

もっとも
「ホシチカ」はただ原発問題のワン・イシューを描いた作品ではなく
過去に人類が起こした様々な悲劇と
その中で非業の死を遂げていった無数の死者たちの
声なき声を星座のようにつなぎ合わせ
記憶のかなたへと塗りこめられてしまうことに抵抗するように
叫びを呼び覚まし
今を生きる私たちとともに、歌い、踊り
そして新たな悲劇を少しでも食い止めたいと願っている作品です。
ですから、原発の有無に関係なく
上演していく意味のある作品であり
戦争や差別、抑圧による悲しい犠牲が続く限り
そこで踏み潰された小さな声なき声と響きあいながら
上演されていく作品です。
即興的な要素を残しているのも
時代の変化に合わせてそれを作品に吸収していけるようにです。

たとえば
2場の黒い妊婦の踊りの場面。
最初のkobaでの即興パフォーマンスは
ちょうどハイチで大地震が起こった直後でした。
始める前にはそのことを踊ろうという考えはありませんでしたが
踊っているうちにハイチで被害に遭った人たちのことが
頭の中をぐるぐるとかけめぐりました。
福島原発事故の後は
私も広島に20年以上住んで
原爆投下後の被爆者に対する結婚差別のことなどもよく聞いていましたので
これから福島で起きるであろうそのような差別
本来祝福を受けるべき新しい命の誕生にもかかわらず
放射線被曝による障害という
差別と偏見によって苦悩する人もたくさん出てくるだろうことに
自然と思いをはせながら
最近は安倍政権と朴政権によるいい加減な「日韓合意」によって
再び傷つけられることとなった従軍慰安婦の方々の辛い気持ちを
踊りながら思い起こさずにいられません。

学生時代から、自作台本のお芝居をずっと上演してきましたが
これほど長期の再演に耐えうる作品に出会えたのは
本当に幸福なことだと感じています。
自分で書いておいて「出会えた」というのも変な言い方ですが
実際、「自分が書いた」という気があまりしない
何かに書かされたような思いのする作品でもあります。
それゆえに
そしてまた、即興的な要素を残していることによって
演じている自分自身が
何度上演しても毎回新鮮にこの作品に向き合うことができるのも
私にとってはこの作品の素晴らしさとなっています。

そんな風にして上演を続けてきた「ホシハ チカニ オドル」。
今回の北九州公演で
またひとつ作品の深みがぐっと増したという強い手ごたえがありました。
メンバーそれぞれが
別の仕事や活動をしながらでもあり
なかなか続けて多くの回数を上演できず
30公演までに5年を費やしてしまいましたが
できるだけ多くの場所で
多くのみなさんとこの作品で出会って行きたいと思っています。
100回公演まではまだまだ道のりは遠く
そのころには何歳になっていることかという心配もありますが
同時にまだまだ何十回もこの作品を上演し続けていくのだ
と思えることは喜びでもあります。
どうぞこれからも「ホシチカ」を
よろしくお願いいたします。

ホシハ チカニ オドル HP
http://t-etc.net/hoshichika.htm

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