捨て人お断り

ちょっと前の記事ですが

解雇:福岡の会社、施設に従業員23人置き去り 「仕事探してくれる」

捨て犬を保護している施設にペットを置き去りにする飼い主
なんて話は昔からありますが
とうとう人間までこの有様とは。
記事だけではわからない部分もありますが
有限会社ですからそう大きな会社ではないでしょう。
そうすると23人もの従業員というのはほとんど大部分?
社員寮を維持できなくなって住み込みの労働者を全員追い出すしかなくなったのでしょうか。
少し会社側に同情的な見方をしてみれば
会社自体はもうとっくに傾いていたんだけど
従業員を解雇するにしのびなく
仕事はあんまり無いんだけど
従業員は寮にそのまま住ませていた。
しかし、とうとうどうにもならなくなって、
それでも従業員の解雇後が心配で
せめてここなら面倒見てくれるんじゃないかと
会社側としては精一杯の温情のつもりでホームレス支援機構に連れて行ったと、、、。
そんな想像も働きます。
事実がどうだったかはわかんないですけどね。
まあ、いずれにせよ、施設の前にペットを捨てる飼い主や
養護施設の前に子どもを捨てる親とだいたい似たような感覚だったのかな、と。
いきなり解雇して寮から追い出して路頭に迷わせるよりはマシと言えばマシなのかもしれませんし
会社側も追い詰められた中でこれが精一杯の思いやりのつもりだったのかもしれませんが
支援機構だってほとんどボランティアで運営されているわけで
こういう無責任なことされてはさぞかし当惑されたのではないかと思います。
せめて、事前に相談くらいすれば、もうちょっとやりようがあったかもしれないのになあ。
どこを責めていいのか、結構やりきれないニュースだな、という気がします。
こんな状況の中
きっともの会社に下請け仕事させていた上の方の建設会社かなんかの
その経営者はどんだけ不景気でも自分の財産だけはしっかり確保して
全部下にしわ寄せを押しつけているんでしょう。
昨日の話の続きじゃないですが
こういう時こそ、本来「富民」には弱者の暮らしを支えてやる「義務」があるはずだと思うのですが
当然、そんな理想はこの国では通用しません。
こういう中でなんとかしようと頑張っているのは一般市民の好意のボランティアで
もっと現実的で大規模な支援ができるはずのお金持ちは何もしてくれません。
金持ちは決して己の資産をはき出すことなく
その資産を守るためにどんどん労働者を切り捨てる。
せいぜい自分の金庫からじゃなく
税金から定額給付金なんてものをばらまいてみるくらい。
アベちゃんの言ってた「美しい国」ってのはこういう国のことだったわけです。

***

「呼び出されても拒否」=裁判員候補者ら会見-東京


これも、記事だけでは、全体としてどういう発言だったかわからない面もあるのですが
「被告を死刑だとか一生監獄に入れるとかを決める仕事はやりたくありません」ときっぱりとした口調で語った。 

でも、それを裁判官は仕事としてやっているわけです。
さらには、死刑の執行をしている刑務官というのがいるわけです。
もちろん、それは「職業」として選択の自由の中で自ら選択したことではありますが
誰もやりたがらないことを、誰かが代わりにやってくれている、ということも踏まえた発言なのかな、という気もします。
一方、裁判員は「職業」ではありません。
いつの間にか国民の「義務」にされてしまいました。
法律上、「義務」とされたからには「そんな仕事はやりたくない」と言ってもしょうがない、ということになります。
選択の自由はありません。
この方は拒否の罰金を払ってでもやらない、ということですが
罰金を払えるほど収入を得ていない人の場合は「懲役覚悟で拒否」、ということになるわけですね。
先日テレビのニュースか何かで
裁判員制度に先駆けてすでに検察審査会という制度がある、という紹介がされ
検察審査員となった方々は、裁判員制度には問題もあるけれど、司法に国民がかかわるべきだ
という発言をされていました。
ただ、検察審査会は、検察の起訴・不起訴が適正だったかどうかを審査する仕事ですから
被告を死刑にするか否かというような判断を求められる裁判員とはやはり根本的に違うようにも思えます。
まだこれからいろいろ問題が続発するに違いないですね。
それで制度上改善されていくか、やはりダメだということでいずれ廃止になるかわかりませんが
こういう見切り発車の制度的に未熟な時期に裁判員裁判にかけられる被告人も
弁護人も裁判員も、いい迷惑というものでしょう。
私がもし選ばれたら、私だってそんな仕事はしたくはありませんが
立ち合ってみたいという気持ちもあります。
そのような立場に立たされたとき、自分がどのように感じ、どのような判断をするか
想像と現実はまた違うかも知れませんから、興味が無いと言えば嘘になります。
ただ、やはり私には人を裁く権利があるなんて思えませんし
まあ、そもそも死刑反対論者は選ばれないそうですけど^^;。
裁判官が一般市民の感覚とズレている、というのも確かにあるだろうとは思いますが
別に判決そのものに一般市民が加わることはないように思います。
裁判員というようなものもあっていいと思いますが
選ばれた数名の裁判員が一般市民全体の意見を必ずしも反映しているとも限らないし
そもそも「法体系」とか「法の概念」というものは素人にはわかりにくい。
裁判員の判断は参考意見程度にとどめておくのが、ええ塩梅ってところじゃないかと思うのですが。

この記事へのコメント

2009年05月21日 23:48
はじめまして。
裁判員制度、まるで流行りのようにあちこちでドラマ化されていますが、今一つ現実味がありません。
やはり、作る側が理解し切れていないというのが原因だと思われます。
不安をあおるだけで、何ができるのかを描いてないし、どんな支障をきたし、フォローをしてくれるのかも描いていない。無責任な話です。
つき
2009年05月23日 20:55
ひるまさん
はじめまして。
コメントありがとうございます。
ホント、何がどうなるのか誰一人わかっていない制度ですね。
ドラマで裁判員を描くのは
①キャッチーな話題で視聴率が取れそう。
②裁判員制度の問題をひろく知って欲しい。
③とにかく裁判員制度が始まったんだから、ということを浸透させたい。
いろいろ思惑がありそうですが
①のような浅はかな狙いだとドラマも薄っぺらいものになるでしょうね。
つき
2009年05月23日 21:09
taniseさま
元気ですか?
URL貼っていただいた記事

最後の日のお別れ会。奥に仏壇がある講堂で、受刑者、職員の家族ら200人が集まった。」なんていうのも
古き良き(?)時代の話で
今は死刑囚には
多分そんな人間らしいふれあいも無いようですね。
そんな中で、日々死刑囚と向き合っている
教戒師という存在もまた「死刑」を考える上で
忘れてはならない存在ですね。

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