恵比寿大黒屋日記

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zoom RSS 8/6、ヒロシマ

<<   作成日時 : 2012/08/06 21:55   >>

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昔から「原爆祭」的状況を呈する8/6の広島はどことなく居心地が悪く、
イベントにもほとんど顔を出さないできた。

今年は久しぶりに出かけてみようかな、と思ったが、
結局仕事やら所用やら体調やら、なんのかんのと自分に言い訳して?出かけずじまい。
どうしてかなあ、と考えても、理由なんかいくらでもつけられるし、
もしかしたら、ただ面倒くさいだけなのかもしれない。
だから、そんなのは言い訳だ、と切って捨てられても、そうかもしれないね、としか言えないんだが、
今日思ったのは、
こんなサイアクな状況の中で、
この日にここぞとばかり「平和」だ「反核」だ「反原発」だと盛り上がるのは、
原爆の死者たちになんだか「申し訳がたたない」ような後ろめたさを感じるということだった。

8/6の広島で反核を叫ぶ。
もちろん、そこには重大な意味がある。
だが、果たしてその意味は何なのかといえば、
それはまっすぐ平和や核廃絶へとチョッケツするとばかりも言えない、
この世は実に重層的で奇っ怪で面妖なのである。
無論、平和を祈る気持ちが悪かろうはずもない。
しかし、映画「ニッポンの嘘」で福島菊次郎さんが口にする、「ヒロシマの嘘」「ニッポンの嘘」は、
67年後の今も健在だ。
いつものように「ヒロシマの嘘」の上で叫ばれる「ヒロシマの平和」。
あいかわらずまるで中身のない記念式典。
心ある人びとの純粋な平和への祈りも
平気でアリバイづくりに利用する(利用してきた)拝金主義者、軍事・原子力利権のムラビトたちに
ヒロシマはどうやって一矢報いることができるだろうか。
−と、誰がそこまで考えているだろうか?

8:15。
「私も黙祷しました!」のつぶやきがTwitterにもFBにも続々UPされる。
もちろん、黙祷することが悪かろうハズもない。
しかし、本当のヒロシマの地獄はこの時間から始まった。
8/6は夜中まで市内は劫火に包まれ
おびただしい死体の山の中を人びとは逃げ惑い
そしてひとり、またひとりと息を引き取っていった。
火災が収まっても、熱による火傷、爆風による怪我、そして放射線障害によって
翌日以降も次々と人は死んでいった。
辛うじて生き延びた人びとも
多くの人が原爆症に苦しみ、被爆者差別に苦しみ
原爆で家財や家族すべてを失って極貧の生活に苦しんできた。
ヒロシマだけじゃない。
古今東西のあらゆる戦争、差別、弾圧、公害などによって
難死した無数の人びと
あらゆる時間の向こうに、そんな死者がいる。
8/6の8:15に1分間黙祷する。
そのセレモニー化(恒例化)は一方で、原爆投下の事実をいつまでも忘れず想起させる役割も果たしながら
一方でそれ以外の場所と時間の死者を忘れさせ
目に見えぬ死者たちを踏みつけにしながら営まれる日々の暮らしに免罪符を与える役割を果たす。

それが良いとか悪いとかいうことではない。
そのようなものごとの多義性、多面性にできるだけ自覚的でありたいという気持ちが
私を8/6のヒロシマから遠ざける。
同時に、8/6のヒロシマでデモやイベントをやることを、揶揄も否定もする気は無い。
みんなが右向け右をしていると
つい左を向いてみたくなるヘソマガリ根性がきっとそう言わせているのである。

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